有頂天家族

面白かった!面白きことはは良きことなり!ゆえにこれは良い本だ。

カラマーゾフの兄弟にヒントを得たとのことなので、野暮とは思いつつ無理やり両者を並べてみる。

  • 矢一郎=アリョーシャ
  • 矢二郎=ドミートリー
  • 矢三郎=イワン
  • 矢四郎=アリョーシャ
  • 総一郎=ゾシマ長老+ヒョードル
  • 赤玉先生=ヒョードル+スネギリョフ大尉
  • 弁天=グルーシェニカ
  • 母=×
  • ?=スメルジャコフ
  • 「阿呆の血」=「カラマーゾフ的」

矢二郎はドミートリーだって言いたかったがために他の対応関係もでっちあげたようなもの。井戸に籠もる矢二郎は「オレもうシベリア行くねん!みんなの罪もいっしょに贖うねん!」って言うドミートリーの崇高かつ独りよがりな思想にだぶる。そしてなにより、「前方の空間をむさぼり喰うように」失踪するトロイカと、夜の光を跳ね返して京都を爆走する偽叡電!2つの物語の一番好きなシーン同士が鮮やかに対比される。どちらからも読んでて腹の底から笑いと生命力がこみ上げてくる場面だ。

でもまあ、あれが似てるとかそういうことよりももっと気になるのは、森見さんがカラマーゾフの兄弟に何を足したのか、あの物語には何が足りないと思ったのか、ということだ。それがこの話の重心になってるんだろうなと思う。俺は「母」をハブとした家族愛と「笑い」の存在を強く感じた。そのどちらに関しても、大切なものであることに同意を惜しまない。それらの不在を文学界の巨星に突きつけられる作者と同時代に生きていることが俺はうれしい。

トップランナー出演時に、青春の悩みみたいなものを真っ向から書くんじゃなくて、笑いを通じて迂回させることで物語が書けるようになった、というようなことを話していたのを本作品を読みながら思い出していた。ドストエフスキー的大長編を延々と書き付けては決して完成させることのできなかった「新釈山月記」の斉藤秀太郎の亡霊は成仏できたらしい。

我々は狸である。狸は如何に生くべきか、と問われれば、つねに私は答える−−面白く生きるほかに、何もすべきことはない。
洛中をうごうごする狸たちよ、一切の高望みを捨てよ。

斉藤秀太郎的崇高さも好きなので全面的に同意はできないのだが、高望みの「高」の部分に自分の裁量をキープしておきつつ大筋で同意。


有頂天家族

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