フライ、ダディ、フライ(コミック)を読む。最近、読む漫画がどれも同じ問いを自分にぶつけてきているような気がする。「無理をせず、身の程を知り、多くを望まずに平和に生きていく」という生き方っていうのは選択可能なのか?選択可能だとして、俺はそれを選びたいのか?って。梅田さんと徳保さんの文章を読んでからこの疑問が頭の中に居座ってるおかげで、いろんなものをそれに引きよせて見ているのだろう。すべてが釘に見えるぞー。

半径1m以内のものを大事に守ろうとするなら、もっと広く、円の外に目を向けて現実と渡り合わないといけないという。現実っていうのはどんな人にもいやおうなく降り掛かってくるものであり、こっちがそれに目を背けたところで、向こうがこっちを見逃してくれるとは限らないから。

この言葉も良かった。

理想を持ってない奴は、すぐに間違える。安易に流れる。

目指すべきものを持たないっていうのは、自由なようでいて実のところは怠惰と恐怖の奴隷なのかもしれない。なにも欲しくないって言ったところで自由になれるわけじゃなくて、恐い物は恐いし、しんどいものはしんどい。その反射的な感覚が空席になった行動原理の座に居座るってだけのことだ。

フライ、ダディ、フライ FLY、DADDY、FLY (上) (ヤングサンデーコミックス)
FLY、DADDY、FLY 下 ヤングサンデーコミックス