部屋がちらかってしまうのは、「本来の保管場所じゃないところにモノが蓄積されていく」というパターンに尽きると思った。なぜそういうことが起こるかといえば、本来の保管場所よりアクセス性のよい場所が空いているからだ。机の上とか部屋の隅とかは、クローゼットの中や引き出しの中などよりモノを置きやすいし取りやすい。「○○の中」は扉なりフタなりがあるおかげでアクセス性が悪い。しかしその扉やフタのおかげで、そこに入れたものは生活の中から閉め出される。その「本当に必要なものしか認知する範囲に存在しない」という状態を手に入れるために片付けるのだ。

片付けるとは、「きちんと決められた場所にしまうことで、アクセス性を高める」行為ではない。モノへのアクセス性が問題なら、きちんと整理整頓されている状態よりも、机の上や足元などのすぐに手が届くところにモノが置いてあってどこになにがあるかは分かっている、という状態のほうがむしろアクセス性は高いからだ。

明日になればどうせ持っていく家のカギをわざわざ「中」に入れ、同じく数日後にはまた使う携帯の充電器をわざわざ「中」に入れることが片付けるということである。つまり、片付けとは「アクセス性と手間というコストを払い、余分なモノのない環境を手に入れる」行為であるということだ。

身の回りのモノへのアクセス性が悪いというのは、ようするに今の行動を切り替えるのに手間がかかるという状態であり、それは好意的に解釈すれば「集中しやすい状況」とも言える。そう考えて片付けというものを再定義すると、「手間というコストを払い、行動に慣性がつきやすい環境を作る」ということか。