やってて面白い会話とは、「考えあう作業」だと言うことができそうだ。言語化できるかできないかという、認識の淵、興味の先端のあたりをうろうろしていっしょにもやもやに形を与えていく作業。会話が面白いという感じっていうのは、どんどん視界が開けていくような感覚に近い。「分かる快感」だ。

会話の有意義さとは、単位時間内にどれだけもやもやを固定化させて興味の大陸を押し広げることができたかであると定義できそうだ。同じように定義すると、よい話し相手とはその認識や興味の縁を共有できていっしょに淵を埋めていくことができる相手といったところか。そして会話の名手とは、自分と相手の興味の海岸線の重なりを見抜くことができる人。