ゆっくり考え事をする時間がないことの一番の弊害っていうのは、考えと自己分析を重ねて選びとった価値観より、「楽だ」「誰かが言ってた」などの安易な価値観の方が自分の中で重用されてくることだ。たとえ一つの価値観を選んでも、つまり志をたてても、忙しく目の前のことに追われていれば、そいつの自分の中の価値は落ちてくる。決意は何度もすることで、惰性と本能を凌駕しないといけない。だから、いつでもその決意に立ち返らせてくれる本や他人の存在が重要になるのだ。「意味よりリズム」は完全に足が止まった奴が動き出すための後押しにはなるかもしれないが、それだけでずっと生きていきたくはない。

ゆっくり考え事をできる今のうちに書き留めておくなら、自分が一番重視する幸せの形は「知的刺激を受け続けること」だ。本を読んで新しいことを知り、人と話して別の視点からの世界の形を知り、何かを作ることでその世界の奥深さを知り、話すことでお互いの視点を押し広げ合うこと。それが自分の望む幸せの形。happy=F^3(Food,Friend,Fun)って言葉があるけど、Funの代わりにInterestingが取って代わり、そこにFoodとFriendが集まってくるような形がベスト。

そこが固まれば、自分が社会や他人に対してどう振る舞えばいいのかもいい感じに狭まってくる。自分が重視する幸せの形を他人もたくさん味わえるように動けばいいのだ。誰かのInterestingのために、つまんないルーチンワークを潰すシステムを作り上げたり。