http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20060323/p1
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50428609.html

自分としてはソーシャルネットワーキングというものにはうっすらいやらしさのようなものを感じてたんだけど、そういう部分も含めて、最近のネットワーキングの動きが加速してきつつある状況について話している。

mixiとかのソーシャルネットワークのどういう部分をいやらしく感じてたかというと、「いい人達だけでもう一回インターネットの理想をやり直そう」とでもいうような選民思想のようなところだ。それに対し、「けっ、他者とつながるのがネットワークだろうに、異物を排除してどうすんだ」って反発していた。その反発のほとんどは、ソーシャルネットワークの存在を知ってから身近な知り合いに参加者が現れるまでのタイムラグに育まれたただのひがみから育ったものだが。

ただ、mixiと普通の個人blogの違う点は、前者の閉鎖性だけでなく実名性にもある。閉鎖性の強みはまだよく分からないが、実名性の強みというものは感じ始めていた。ネットワークに参加する目的には2種類あって、

  • それ自体を目的とする、楽しみとしてのネットワーク参加
  • 別の目的のための手段としてのネットワーク参加

がある。で、後者は現実世界とネット上がリンクしてればどんどんこれからも可能性が広がるよね、ということ。個人がインターネットで情報発信というと、趣味のページで訪問者と交流というような構図がいまだに一番に思い浮かんでしまうので、どうしても視点が前者に偏ってしまっていた。実人物との1対1対応でのSNSはネットを後者の目的にも開くという点で有用なんだな。

X軸、Y軸の表がうまくかけないのでテーブルで書いてみる。

情報発信 情報収集
目的としてのネット参加 趣味のblog、趣味のホームページ ネットサーフィン
手段としてのネット参加 (実名性で可能性が広がるゾーン)SNS,ML,BBS ←のROM,検索サイト経由でのネット閲覧

しかしまあ、手段と目的とが一体になって、情報発信が情報収集のキーになったりするところがおもしろいんであって、こんな表にしてしまうのは見当違いもはなただしいんだけど。これが境界のない2軸の表だったとして、「手段としてのネット参加」の極にごく近い一部を指して俺はいやらしいと感じているのだな。もちっと原点側によって、友愛の情がブレンドされてるほうが好みだ。