天満天神繁昌亭で寄席を見てきた。古典落語はネタの種類も限られていていわば既にネタバレしている状態らしいが、それでも成立する笑いってどんなんなんだ、とか100年200年経って社会が大きく変わっても同じように成立するお笑いってどういうもんだ、とかいった興味や疑問があったんだけど、今回生の落語に触れてみることでちょっとその興味に大して歩み入ってみた。

まず分かったのは、落語は「おもしろい話」を聞かせる芸じゃなくて、話を「おもしろく話す」芸なんだなってこと。ストーリーの比重が思ったより低い。声色や表情や身振りの比重が思ったより高い。そのへんが幅広い時代の幅広い年齢層に受け入れられてる理由でもあるんだろうな。どんな声色が変な声で、どんな顔が変な顔かっていうのは社会の変化や個人の価値観の変化があってもそうそう変わるもんじゃない。