自分の思考のクセとして、どうも「個人の権利というものを周りの人より少なく見積もっている」というのがあるような気がした。どういうことかというと、まず「みんな自分の能力と利害に応じて、自由に動けばいいじゃん。で、成果も責任も自分のものだ。」という考え方を根っ子に持っていて行動をコストとベネフィットの問題で決めてしまう。だから規範というものの出る幕がなく、そこから発生する義務や権利といったものにも鈍感になるといった感じ。規範と言うものは外に有るものではなく、自分の中に組み込まれていて精神的利益/損害という形で行動決定に組み込まれている。

具体的にどういうことかというと、例えば犯罪や事故のニュースを見たときに「これはひどい、良くない」とは思えても「これはおかしい」と思えない。「世の中こうあるべき」というのが個人的なものでしかないから。

ごく狭い範囲で、こういう性質のメリット。自分が不幸な目にあったときに「しゃあないな、○○すっかor我慢すっか」と考えてさっぱりしやすい。デメリット。他人が不幸な目にあったとき、あんまり理不尽さを言い立てられるとだんだんイラついてしまいお互いにとって良くない。

どうも「人間は皆幸せになる権利があり、不幸な人がいるならそれは他の誰かが悪いことをしているからだ」というような思考セットが好きになれない。もっと穏当にして「人は苦痛を感じていてはならない」ぐらいにしてもまだ納得しづらい。生き物の生存競争っていうのは厳しいものなんだから、むしろ苦痛がデフォルトなんじゃない?って思ってしまう。

しかしこんな考え方はサルの考えで、こんな考えの者だけが集まってたらまともな社会なんてできなくて闘争状態にしかならんのじゃないかとも思っている。もうちょっとバランスを取らねばと思い、wikipediaで「権利」とか「人権」とかの項目を読んでみた。人類の偉大な発明なわけだし、もうちょっとちゃんと理解せねば。

しかし、生存権なんてすごい権利だよな。もはや動物の一種とは思えない。国家、無理してないか。