フィラデルフィア美術館展

京都市美術館フィラデルフィア美術館展に行ってきた。絵の良し悪しも歴史的価値も分からないのだが、以前大塚美術館で古代の絵画から現代アートまでを年代順にざっと見た時に、それまでの時代の綺麗な絵から急に理解に苦しむ「いわゆる」芸術に変化する時点があるのが気になっていた。ルノワールとかの時代からなんでキュビズムとかが前面に出てくるのか分からない。分からないけど、そこにはきっと必然性があるはずだし、その必然性が見えなくてそこから先の絵画の歴史全部が分からないものになっているのはもったいない気がする。今回の展示はそのあたりの気になる転換期がカバーされてそうなので、ちょっとでもヒントになればなと思って行った。

キュビズムのあたりの解説を読んでみたんだけど、「現実は3次元なのに対し、キャンバスは2次元。現実をキャンバスに写し取るには遠近法のようなエンコードが必要なんだけど、なにも遠近法が唯一絶対のエンコード法じゃないよね。いろいろやってみよう。」っていうことなんだろうか。

そういうチャレンジは面白いけど、その先は「そのままの形で写し取るんじゃなくて、何らかの形で抽象化してひねってやらなきゃ芸術じゃない」みたいな流れができてるように思えた。でもどういう抽象化をしたのかよく分からない作品が多かった。抽象化って、対象のいろんな属性の中から注目すべき点を選んで、その属性が際立つようにほかの属性を切り捨てたり変化させてみたりして注目すべき属性を浮かび上がらせるってことだと思うんだけど、不思議とそういうひねった作品ほど「何を見せたいのか」がよく分からないのな。抽象化されたものを描こうとするなら写実的であろうとする時よりも、作品に対して作者が何を書こうとしてるのか自覚的でないとただのデタラメになるような気がする。

こういう「なにか捻らなきゃ」という発想は、写実の王様、写真の発明も影響あるのかな。時代的にはある程度重なりそうだけど。