今日はやらなくちゃいけない作業の多さと不毛さに少し気持ちが参ってしまった。そういう時は他の人や状況を逆怨みしそうになる。作業の最中はさも当然のように不機嫌になってしまっていたが、今振り返ってみるとそういう自分の態度のまずさはよく分かる。不機嫌でいては他人にも自分自身にもよくない。

不機嫌というのはどういう精神状態だったか。気に入らない状況を自分のコントロール不能な外部のせいにしていて、自分の不快感の正当化に思考回路をずっと使っている状態。気に入らない状況下で走る思考リアクションは、「自分がどう働きかけたらこの状況は改善するか」というというものもあり、こっちが動いてる時は上機嫌、というか燃え状態といえる。こっちのほうが自他共に好ましい。

で、不機嫌回路が走るか燃え回路が走るかの分岐ポイントはどのへんにあるのだろう。自分にできることをどれだけ広く見積もるか、によるんじゃないだろうか。自分はこんなキャラであり、こんな立場であり、これからもこうありつづけるだろう、というように自己イメージが静的だと自分にできることっていうのを狭く見積もり、結果不機嫌回路が動きやすくなってしまうのではないかと思う。

やっぱり「無理せず、向上志向を持たず、とりあえず義務だけ果たして穏やかに幸せを目指す」という作戦もそれなりに辛いところはある。不機嫌回路が走りやすくなってしまう。不機嫌回路の害悪を小さくするような形の自己鍛錬もあるんだろうけど、そうやって自己鍛錬に励むっていうのはそもそもその戦略を取った意味がなくなるような。

やっぱり問われてるのは、

  • 幸せも不幸も当たり外れが大きい高リスク人生
  • その逆の低リスク人生

のニ択ではなく、どういう幸せを優先的に手に入れたいか、どういう辛さなら自分は受け入れることができるか、という優先順位なんだろうな。