「まだ、自分の性格が嫌いだったりするか」と聞かれた。半ば反射的に「まだまだ好きにはなれてないかな」と答えたが、その答えはなんだか的外れだとその時感じた。昔と違い、現在、特に自分の性格が嫌いだと感じることはなくなった。でもそれは自分の性格が好きになったわけではなく、自分の性格が好きかどうかなんてどうでもよくなったというのが正確なところだ。思春期の出口は、そのまっただ中にいたときに想像していたような場所ではなく、意外なところにあったようだ。

今、自己を評価しようとすれば、「職業人としての自分」「こいつの友人としての自分」「あの子の恋人としての自分」などの役割の中でどれだけうまく動けているかということを問題にする。性格、なんて包括的でぼんやりした尺度は使わないしどうでもいい。

自分というものを役割のカタマリとして見るようになったということは、俺もなんぼか大人になったということかなあ。