ラジオ版学問のススメ 岩井俊雄(メディアアーティスト)

手作りおもちゃで子供と遊ぶ話。パーソナリティの蒲田健さんがいつもより楽しそうだったのが印象的。子育てという彼自身の生活と問題意識に近い話だったからか。私自身は良いおもちゃとは、とかそのあたりの話がおもしろかった。

おもちゃはいじくれてこそおもちゃ

紙に動物をただ書いてあげるより、その動物を切り抜いてあげた方がずっと子供の反応がよかったという。絵はそれ以上動かしようがないものだが、手に取れるものは自分の考えたように動かしたりできるという点がよかったんだろうとのこと。この「操作可能性」が遊びの重要な構成要素だという指摘はおもしろい。クリエイトこそが遊びであり、おもちゃはそのための道具であり材料であるということか。

そういう観点でみると、いいおもちゃっていうのはどういうものなんだろうか。いいクリエイトのためのいい道具、いい材料とは。紙と鉛筆、ボールなんていうような原始的なおもちゃと、TVゲームなんかの複雑なおもちゃはどんなふうに違うか。

複雑なおもちゃの方が、インプットに対してアウトプットが大きいっていうのがあるな。簡単なボタン操作で派手なグラフィックと音を作り出せたり。大して、原始的なおもちゃの方はインプットとアウトプットが多様なことに特徴があるか。これらの特徴が生み出す、出力そのもののを受け取る楽しさと出力をコントロールする楽しさはけっこう別物なんじゃないだろうか。前者は「娯楽」、後者は「遊び」という言葉がしっくりくるか。もちろんどんなおもちゃにも娯楽的要素と遊び的要素は含まれていて、配分に差があるぐらいだろうけど。

あと、インプット-アウトプット間の因果関係が難解/明快の差も大きい。明快すぎるのも難解すぎるのも「もっとちゃんと知りたい」っていう欲望を刺激しないけど、ここが刺激されるのは遊びを深めていくのに重要なポイントだと思う。電子的なおもちゃなんかだと、物理的な複雑性は隠蔽されてその上に単純な因果関係の空間を仮想的に作ってるわけだからこのへんの調節がしやすいんだけど、こういう人工的な因果空間はどうしても広さが現実世界に劣る。単純なおもちゃはナマの物理法則を利用するから、難易度調整もしずらい代わりに奥深さは勝る。

成熟とか社会化っていうのは自分の遊びと社会の要求とすりあわせていく過程だと言えるかもしれない。そのように遊びという行為が一生続くなら、いいおもちゃを選択する目というのは子育て中の人だけに必要とされるものではなくて自分自身の生活を豊かにするものでもあるだろう。既製品の消費という「娯楽」だけでなく、クリエイティブな「遊び」をもうちょっと楽しみの中に取り入れることができたらいいな。