希望のしくみ

幸せに生きる、もしくはあんまり苦しまずに生きるっていう問題に対する上座部仏教的答えが合理的でバランスのいいものに感じられた。スマナサーラさんの著作をもっと読んでみたい。

人生にあらかじめ備えられた意味なんてないけど、役割なら用意することはできるだろう。そしてその役割を果たした時には、短期的に充実感があるだろう。それで十分じゃないか。だって人間は変化していくものなんだから、一生続く幸福感を得ようとしたってそりゃ無理だ。こういう考え方は、妄信かニヒリズムかの不毛な二者択一に対するいい感じの落としどころだと思う。

幸せになるには希望を叶えるか希望を持たないようにするかのどっちかだと二者択一的によく語られるが、どっちを採用してもなかなかうまくいかない。これに対しても上座部仏教はなかなかの落としどころを用意している。社会に対しては願望充足を目指し、自分自身に対しては願望枯渇を目指す。つまり、社会に対しては「生きとし生きるものが幸せであるように」願い、そのために自己を役立てる。その一方で自己に対してはスペック的な生活の質の向上による幸福ではなく、現実を受け入れることによる心の平安のようなものを目指していく。

仏教っていうのは禁欲的なものかと思っていたけど、社会にまでそれを求めるようなものじゃなかったんだな。この社会と自己に対するアプローチの違いから考えると、物質的豊かさの美点っていうのは贈与が簡単であるってことが一つあるんじゃないかと思った。精神的な豊かさはもっと贈与が難しいよね。だから物質的価値を生み出そうとすることも肯定されるし、おまけに充実感までついてくる。仏教にはまれば虚無的で無気力になるんじゃないかとなんとなく思っていたけど、それも誤解だったようだ。

希望のしくみ (宝島社新書)

希望のしくみ (宝島社新書)