下流志向

学ばない子供や働かない若者が増えてきたのはなぜか、という問題に対する視点の斬新さともっともらしさがおもしろい。おお、確かにそんな感じだ!というもやもやが言語化されていく喜びがある。

子供が学ばないのは「割に合わない」と思ってるから。しかし往々にして学ぶことのメリットは学ぶ前には理解できない。ひらがなを学ぶ前にはそれによってアクセス可能な世界の広がりを認識していなかったように。だからつべこべ言わず学んでみるという姿勢がある程度は必要なのだが、それが失われてきている。このようにメリットが実感できない状況で学びへの意欲を支えるのが師というものの存在である。学ぶのに必要なのはテキストだけではない。学んだ先の世界の広がりを予感させてくれる、師が必要だ。

若者が働かないのも、「割に合わない」と思ってるから。自分の知ってる快楽の形のどれも労働は提供してくれそうにないから。

これらの問題は、「今ここ私」に意識が集中しすぎていることに原因がある。人類が今まで何を成してきたか、どのような時間を生きてきたか、この先どうなっていくのかという時間意識とその中の一点であるという自己認識があれば、自己判断をちょっと制限して成すべきことを成すことにちょっとは行動を向けられるんじゃないか。歴史と宗教を学ぶことがカギか。

下流志向──学ばない子どもたち、働かない若者たち

下流志向──学ばない子どもたち、働かない若者たち