ルサンチマン 1〜4巻

こないだ初めてエロゲをやってみて、やっぱりこういうものは不健全であって袋小路へ至る道だという認識を再確認した。個人としてはもう立ち入らないでおこうと思う。しかし、だからエロゲはいかんとか高みから正論で仮想現実をまるごと批判するような振る舞いは傲慢だよなとこの物語を読んで思った。ちゃんと毎日栄養バランスの取れた手料理を食べなさい、時間がないなどというのは本人の心構えしだいです、と主張するのに近いものがあるのではないか。

結局のところそれはまがいものだから本物にある価値がないのだ、という指摘が間違っているわけでなはい。しかし本物だけが持つ価値よりももっとのっぴきならない理由によって、人はエロゲをしたりジャンクフードを食べたりと代価品を求めるのだ。そして、この物語においてのっぴきならないのは肉欲じゃなくて自分の存在を受け入れてくれること、だった。ならばたとえ醜くても、無様でも、咎められない。むしろ、なんか神聖なものに見えた。

しかしだな、このルサンチマンの世界の仮想現実での恋愛は神聖なものに見えたとしても、現実のエロゲはなんかあまりにも退廃的だなあと思うのだ。また傲慢野郎に逆戻りだが。その差はなんだろうかと考えると、相手の言語的非言語的メッセージを解釈し、それに基づいてこちらから相手に何か働きかけるという一連のコミュニケーションのコストがあまりに安くできているという部分が気になる。言葉をかき集め、搾り出して状況に働きかけていくような、体中の細胞が総動員される感覚がないのだ。自分の一言が相手を喜ばせるのか怒らせるのか、わからないままそれを口にする恐怖のような感覚もない。エロゲの中では状況は勝手に都合のいいほうへ転がっていく。

一方ルサンチマンの主人公はそこにある(仮想)現実を動かそうと、どれだけ相手の気持ちを推し量り、どれだけ走ったか。どれだけ必死で言葉を搾り出してきたか。そのことを考えるとこの作品中の仮想恋愛を否定できない感覚が腑に落ちる。最後に感動した人だって、たくろーと月子のファーストコンタクトの時には「たくろー、ロクでもない」って思ったと思う。