国のない男

もう出ることはないだろうと思っていた、ヴォネガットの新刊を偶然本屋で見つけた。なんかボリュームの割りに高いなとか思いつつもやっぱりうれしくて、衝動買いしてしまった。ヴォネガットの文章を読むのは久しぶりだったけど、そのニヒルで優しい思考は今でもすばらしいものだと感じることができた。

ヴォネガットがこの本を書いたときにはもう80歳を超えてるはずだけど、全然そんな年齢を感じさせない。世の中を語るのにやたら昔と今を比較しようとしないし、「○○を経験してこなかった奴らは一人前とは言えない」というような話をしないし、何よりジョークがちりばめられてるからか。あくまでも他の人と対等な、社会の一参加者として話をしている。息子に「人生って、なんだ?」とか聞いちゃったりするしな。ちなみに息子の答えもすばらしい。「父さん、ぼくたちが生きているのは、みんなで助け合っていまを乗り切るためなんですよ。いまがどんなものであろうと関係ないんです」

以下写経。
芸術活動について。

芸術では食っていけない。だが、芸術というのは、多少なりとも生きていくのを楽にしてくれる、いかにも人間らしい手段だ。上手であれ下手であれ、芸術活動に関われば魂が成長する。シャワーを浴びながら歌をうたう。ラジオに合わせて踊る。お話を語る。友人に宛てて詩を書く。どんなに下手でもかまわない。ただ、できる限りよいものをと心がけること。信じられないほどの見返りが期待できる。なにしろ、何かを創造することになるのだから。

ブルースは絶望を家の外に追い出すことはできないが、演奏すれば、その部屋の隅に追いやることはできる。どうか、よく覚えておいてほしい。

奴隷所有者の自殺率は、奴隷の自殺率をはるかに超えていたらしいです。

  • 女が望んでいるもの=たくさんの話し相手
  • 男が望んでいるもの=たくさんの仲間

という話のなかで。

最近では、夫婦げんかになると、双方ともその原因は、金とか、権力争いとか、セックスとか、子どもの育て方とか、そんなことだと思ってしまう。しかし、それはふたりが自分の本心に気づいていないだけだ。本当に言いたいのは「あんたひとりじゃ足りない!」ということなのだ。

内田樹センセイの話にも通じるところがあるような。

生きる姿勢、について。ヴォネガットの魅力の一つは、ひどい現実もクールに見つめ、しかし決して捨て鉢にならないことだと思う。

孔子やキリストや、わたしの息子で医者をやっているマークのような人の話に戻ろう。三人がそれぞれの言い方で言おうとしているのは、こういうことなのだ。つまり、どうすればわれわれはもっと人道的に行動することができるのか、そしてこの世界を少しでも苦痛の少ない場所にすることができるのか。

生きていてよかった、と思わせてくれるものが音楽のほかにもあります。それは、いままでに出会った聖人たちです。聖人はどこにでもいます。わたしが聖人と呼んでいるのは、どんなに堕落した社会においても立派に振る舞う人々のことです。

ピッツバーグ出身の若者、ジョーがやって来て、不安そうにこう言った。「ぼくたち、大丈夫ですよね」
「若者よ、この地球へようこそ」わたしは答えた。「夏は暑く、冬は寒い。地球は丸く、水も人間も豊富だ。ジョー、ここでの寿命はたかだか百年ぐらいじゃないか。わたしが知っている決まりはたったひとつだ。ジョー、人にやさしくしろ!」

国のない男

国のない男