幼年期の終わり
前半はおもしろいおもしろいと思って読み進めていったが、章が進むにつれて物語の焦点と自分の興味がずれてきてあまり楽しめなくなっていった。ネットの書評では最終章を中心とした全宇宙規模、種族単位のスケールでの物語を評価する声が多いようだが、自分の興味はもう少しミクロな人間レベルのスケールに縛られているようだ。あんまりSFに向いてないのかもしれない。
1章の、「異星人に支配されている現状の方が平和で豊かでいいじゃん」派と、「それでも自由と独立の方が大事なんだ」派の対立の物語はおもしろかった。自分としてはこんな異星人なら歓迎派。今でも国家なんていう存在を認めてるわけだし。
2章の、異星人のか学力によって完成したユートピアの描写には違和感を感じるところも多かった。
無知、病気、貧困、恐怖。そういったものはほぼ過去のものになった。
他のものはどうかわからないけど、無知がなくなる事は原理的にもありえないんじゃないか。
3章、10歳以下の子どもにメタモルフォーゼが起こって親の元から離れていってしまうという事件が起こり、絶望しきった人類は新たに子どもを生むこともなくなりそのまま滅亡、という展開が分からない。なんで?人間ってそんなもんじゃないやろ?
どんな種族であれ、子どもを奪われれば、心は打ち砕かれ、生き延びようという意思を完全になくしてしまうものだからだ。
って、そうか?事件直後、11歳の子どもをもつ親やその教師達は子どもに対してますます大きな希望を託すようにならなかったの?事件当時に新婚だったカップルも子どもを作らなくなった?
偉そうな顔した人類っていうのが実は宇宙規模で考えるとちっぽけな存在で、より巨大な存在の道具のようなものでしかない、って話なら、ヴォネガットの「タイタンの妖女」の方が好きだ。最後まで、そのちっぽけな人類のちっぽけな個人の話であり続けるから。
- 作者: クラーク,池田真紀子
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- 作者: カート・ヴォネガット・ジュニア,浅倉久志
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