ウェブ時代をゆく
いい本だ。やる気が出た。
「無限から有限へのマッピング」というのはいい表現だと思った。文章を書くこともそうだと言えるだろう。頭の中に感覚として存在する書きたいもの豊かさに対して、実際に書ける言葉はあまりにもみすぼらしい。時間をかけて書いたのに、書きたかったものが書けていない。そういう割に合わない感覚が「自分は文章がうまく書けるような人じゃないんだ」という結論を生んで、文章を書くという行為から人を遠ざける。でもそのような、思い描くものと現実のアウトプットの間には、あくまでも原理的に変換のコストが存在する。それは能力によらず、誰にでも存在する。そして、そのコストを支払って現実に何らかの作用を与えるものに変換しないと、無限のままでおいておいたものは日の目を見ることのないままに無限のまま消えていく。そのことを悲劇でなくただの原則として肝に銘じるためには「無限から有限へのマッピング」というこの理科っぽい質感の言葉は有効だと思う。今まではそのことを表すのに「割り切る」「大人になる」というような言葉しか知らなくて、そしてそれらの言葉はいつか大事な力の源も奪い去ってしまいそうで、自分の中に常駐させたくなかった。「無限から有限へマッピングする」という言葉なら暴走させずに有用に扱える気がする。
「好きを貫け」と言った時の「好き」を、きっちりと「能動的で創造的な行為における好き(志向性)」と限定して定義しているのがいいと思った。同じような議論や助言はいろいろなところで聞かれるが、このような限定をしっかりと明示しているのは少ないと思う。そしてその限定がなければこういった助言は進路を隘路に向かわせるようなものとして働きかねない。「寝転がってネットを見るのが好きだというオレの個性をどう生かせばいいのか」とかいったろくな出口のない問いを立てなくて済む。
能動的に行動することが大切であり、行動するためには「時間の使い方の優先順位」を変えることが大切だという話での、
「時間の使い方の優先順位」を変えるにはまず「やめることを先に決める」ことである。それも自分にとってかなり重要な何か「やめること」が大切だ。
という指摘が厳しい。ここまで読んできて、「よし、がんばってblogもプログラムも書くぞ」と思っていたが、何をやめればいいのかと立ち止まってしまった。やはり時間があればあるだけ費やしてきた「漫然とWebを見ること」「楽しみのための読書」だろうか。やめるとなるとかなり苦しいが、そうすることで情報の発信者としての時間と消費者としての時間の比率が変わってくる。今の自分にはそれが必要なのだろう。
ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)
- 作者: 梅田望夫
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2007/11/06
- メディア: 新書
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