うまいこと休むのも難しい

今年の正月休みは学生時代以来の大型連休だったというのに、ほとんど本も読んでないし映画も見ていないことに気が付いて驚いた。ずっと出かけていたかというとそうでもなく、休みの半分以上は家にいた。それなのに本を読んでいない。どうしてしまったのだ俺は。何をしとったのだ。

パソコンの前にいた。プログラミングをしたり、プログラミングをしようとして調べものをしたり、プログラミングをしようとしてニコニコ動画を見たりしていた。取り組むべきこととしてプログラミングがどんと立っていて、時にそれに立ち向かい、時にその目を盗んで別のことをした。結果的にプログラミングの成果も新鮮なことに触れることでのリフレッシュ感も、休みの日数の割には少なくないか?という感じの休暇となってしまった。

問題はたぶん、プログラミングという無限ともいえるサイズのでっかい課題に対して、小分けにすることなく仕事のように時間制限をつけることもなく、ただひたすらに取っ組み合おうとしていたということなんだろう。どれだけがんばっても満足できないし、どれだけダラダラやっても危機感がわかないような状態になる。そしてパソコンを離れたプログラミング以外のことが「本当はこんなことしてちゃいけないのに」という気分の元で行われるようになる。本も映画も見なかったのは、それがしちゃいけないことのような気がしてやらなかったというのが近いんだよな。そのくせパソコンでできる遊びは罪悪感が薄くて時間を費やしてしまう。むう。

書店で働いていたときは労働時間こそ長かったものの、就業時間が終わると仕事のことは自動的に頭から抜けて、今よりも充実して余暇を過ごせていたように思う。プログラミングって就業時間だけ取り組めば十分ってものでもないから余暇の中に上手に勉強を組み込んでいく必要があって、そのへんの運用が難しい。勉強も読書もしたいんなら、どっちもちゃんとプロジェクトとして扱って、小分けにして締め切り決めて計画的に時間配分してやらないといかんのだろうな。そのときそのときで自分の気持ちが向かったことをやればそれが一番気持ちよくて生産的なんだろうけど、どうも自分は自分の欲求と、それを感じ取る力を信用できない。