鹿男あをによし
物語の舞台の奈良の魅力がよく出た小説だったと思う。奈良ってお隣の京都と比べるとなんかこう華がなくうすら寂しいような印象があって、この小説でもそんな印象は覆るようなことはないんだけど、そんな奈良もいいものだね、と思える。
奈良って遺跡や寺社が多いから昔の人の存在を強く感じるんだけど、時代が時代だから文献があまりなくて、結局のところその昔の人達が何を考えてたのかがよく分からない。奈良に住んでる人たちにもそれが分からない、っていうのがその奈良を覆う寂しさの一因でもあるように思った。隣人のことを分かってあげられないっていう優しい寂しさ。あ、鹿も分かりえない隣人やね。
相手のことが分からない。でもそれは自分の無知のせいでもKYなせいでもないから、安心して分からないでいられる。この分かり得ないことにのんびり浸るのって、なかなかいい時間のように思う。普段は「知らないこと」「分からないこと」ってひかえめながらも罪であるような空気の中で暮らしてるから。そういう空気の中に閉じ込められてるように感じたら、奈良に行って石舞台を見上げたり鹿と見つめあったりしてくればいい。
しかし小さい頃から知ってるからあたりまえのことになってるけど、鹿がいっぱいウロウロしてる奈良公園ってよくよく考えるとものすごいメルヘンなスポットだな。あんなサイズの動物が柵もないところで大量に放し飼いになってるところなんて、日本でもあそこだけだろう。
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計画的であるよりも活動的であるほうが美しい
友達から読んだことのない作家の話題をメールで振られたので、メールの非同期性を生かして今からすばやく買ってきてすばやく読んで知ったかぶりして返事書いてやろうと思い立ち、夜も遅いのに本屋に行ってきた。だが売ってなくてすごすご帰ってきた。昨日、計画って大事だなーとか考えたとこなのに。なんといきあたりばったりな。でもなんか気分はよかった。少なくともアクティブな動きではあったからな。無計画性そのものというより、それと絡み合う怠惰がかっこ悪いのだと思う。
ネット未来地図
経済的にはWeb業界って広告業界の一部門でしかないんだろうか、ということが気になった。「ポスト・グーグル時代 20の論点」という副題でさまざまなトピックに触れているが、そのうちの半分ぐらいは結局「いかにして今までになかったところに広告を加えるか」「いかにして広告の効果を高めるか」という広告の質と量のパワーアップをどう実現するかという話だったような気がする。
サービス提供者が霞を食って生きていけるわけでもないし、その人たちがサービスから収入を得る手段で現在圧倒的に有力なのは各種広告に他ならない。でもなんか構造としていびつな気がして少し悲しい。
解決策としては、
- 広告以外でサービス提供者が収益を得ることができるしくみを考え出す
- 広告というものを進化させて、邪魔に感じるだとかの現在のマイナスの要素を克服させる
- 自分自身が広告というものをポジティブに定義しなおす
といったところか。希望する順番もこんな感じ。
1番は今どんな候補があるんだろう。PICSYとか新しい動きはないのかな。
ネットの従量課金を一部復活させて、プロバイダが各ユーザーから利用量に応じたお金をいったん徴収する。同時にユーザーのブラウザからどのサイトをどれだけの時間利用していたかの記録も受け取り、その割合に応じてプロバイダが各コンテンツの提供者に集めたお金を分配する、とかどうだろう。なんか古臭い発想っぽいけど。
ネット未来地図 ポスト・グーグル時代 20の論点 (文春新書)
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うまいこと休むのも難しい
今年の正月休みは学生時代以来の大型連休だったというのに、ほとんど本も読んでないし映画も見ていないことに気が付いて驚いた。ずっと出かけていたかというとそうでもなく、休みの半分以上は家にいた。それなのに本を読んでいない。どうしてしまったのだ俺は。何をしとったのだ。
パソコンの前にいた。プログラミングをしたり、プログラミングをしようとして調べものをしたり、プログラミングをしようとしてニコニコ動画を見たりしていた。取り組むべきこととしてプログラミングがどんと立っていて、時にそれに立ち向かい、時にその目を盗んで別のことをした。結果的にプログラミングの成果も新鮮なことに触れることでのリフレッシュ感も、休みの日数の割には少なくないか?という感じの休暇となってしまった。
問題はたぶん、プログラミングという無限ともいえるサイズのでっかい課題に対して、小分けにすることなく仕事のように時間制限をつけることもなく、ただひたすらに取っ組み合おうとしていたということなんだろう。どれだけがんばっても満足できないし、どれだけダラダラやっても危機感がわかないような状態になる。そしてパソコンを離れたプログラミング以外のことが「本当はこんなことしてちゃいけないのに」という気分の元で行われるようになる。本も映画も見なかったのは、それがしちゃいけないことのような気がしてやらなかったというのが近いんだよな。そのくせパソコンでできる遊びは罪悪感が薄くて時間を費やしてしまう。むう。
書店で働いていたときは労働時間こそ長かったものの、就業時間が終わると仕事のことは自動的に頭から抜けて、今よりも充実して余暇を過ごせていたように思う。プログラミングって就業時間だけ取り組めば十分ってものでもないから余暇の中に上手に勉強を組み込んでいく必要があって、そのへんの運用が難しい。勉強も読書もしたいんなら、どっちもちゃんとプロジェクトとして扱って、小分けにして締め切り決めて計画的に時間配分してやらないといかんのだろうな。そのときそのときで自分の気持ちが向かったことをやればそれが一番気持ちよくて生産的なんだろうけど、どうも自分は自分の欲求と、それを感じ取る力を信用できない。
フォームヘルパでセレクトボックスの配列フォームを作ると値が保持されない
Ethna2.3.2での現象。
APPID_Form_Sampleでフォーム定義を以下のように記述する。
var $form = array( 'foo' => array( 'form_type' => FORM_TYPE_SELECT, 'type' => array(VAR_TYPE_STRING), 'option' => array('りんご', 'みかん', 'バナナ'), ), );
そしてSampleテンプレートは以下のように記述する。
{form ethna-action="sample"} {form_input name="foo"} {form_input name="foo"} {form_submit} {/form}
これで2つのセレクトボックスに違う値を設定して送信し、同じテンプレートに遷移させても値が保持されない。1つの<select>内の<option>にいくつもselected="selected"属性が設定されてしまっている。セレクトボックスの配列がmultipleなセレクトボックスであると解釈されてしまっている様子。
Ethna_ViewClass.phpの_getFormInput_Select関数内、724行目付近の
if (in_array((string) $key, $current_value, true)) {
を、
$def['_form_counter'] = empty($def['_form_counter']) ? 0 : $def['_form_counter']; if (isset($params['multiple']) && in_array((string) $key, $current_value, true) || !isset($params['multiple']) && $selected === false && strcmp($current_value[$def['_form_counter']], $key) === 0) {
と変更したら直った。
fixdapを使ってみる
カジュアルなBTS風プロジェクト管理サイト、fixdapで家計簿サイトの進行管理をやってみることにした。
http://fixdap.com/p/bookkeeping/
あっというまにfixdapトップページの「最近作られたタスク」の欄が自分のタスクでいっぱいになってしまい、恐縮する。spam感たっぷり。